流産の経験
2006年 01月 19日
私が流産したときのことを少し書いておこうと思う。
サイクル15日め:2回めの挑戦のAIH。なかなか子宮までうまく届かず、とても痛い思いをした。不妊治療は心も体もとてもつらい。
18日め:高温期に入った。基礎体温、36.71。
19日め:36.31に下がった。
20日め:36.81に上がった。しかし、このあと基礎体温がどんどん下がってきて、23日めには36.60。
25日め:胸がチクチクと痛いことに気づく。ダイエットしていたにもかかわらず、体脂肪が全然減らない。
27日め:基礎体温、36.45。変動が多い。
30日め:生理予定日。妊娠検査スティックにて陽性判定!
31日め:病院へ血液検査に。もう妊娠していることはわかっていたので、喜び勇んででかけた。
そしてその日の午後、「本来なら70〜100のホルモン値が必要ですが、38しかありませんでした。残念ながら数日後出血して流産するでしょう」と言われ、夫共々、天国から地獄へ。
生きている理由もないと思ってしまった。庭に穴掘って、一生そこで過ごしたい、誰とも話したくない、誰にも会いたくない、と思った。赤ん坊に裏切られたような気持ちにまでなってしまい、普通の精神状態じゃなかった。
32〜34日め:すごく眠い。教会で「赤ちゃんを守ってください」と祈る。
私の命に代えてでも、この赤ちゃんを助けてください、と本気で祈る。
35日め:二度目の血液検査。150〜200は欲しいホルモン値が、86だった。前回から増えたとはいえ、低い。
37日め:三度目の血液検査。186。倍になったので、まだ生きているんだ、育っているんだ、と感動。でも生理になっていないことをのぞけば、妊娠している自覚はまったくない。
39日め:基礎体温、36.66。のどが乾く。おりもの少々。
42日め:基礎体温、36.61。今、まさに我が子と過ごしているんだ、と幸せをかみしめる。「明日」じゃなくて、「今日」一緒だということが大切。
44日め:四度目の血液検査。1846まで上がっていた!熱っぽくてだるい。生理痛のような痛みがある。夫と教会で祈る。
45日め:初超音波検査。ちゃんと子宮の中に着床していたが、6週2日めにしては小さいらしい。
53日め:二度目の超音波検査。朝、胸が張っているのが嬉しい。結果は、袋は13ミリほどに育っていたけど、中の赤ん坊が育っていなかった。7週目に入っているが、6週目で止まっているらしい。やはり流産確定。
掻爬手術するか、薬で押し出すか、自然に出血するまで待つか、と聞かれた。
医師に、痛みはひどいが薬で出すのが一番安全だと言われた。手術するのは体に負担が大きい。自然に出血を待つのは、あまり待つとむしろ母体に悪影響が出る、ということだった。
夫と話して、あと1週間待って、もう一度超音波検査をしてもらうことにした。
そこでもし心臓が動いてなかったら、覚悟を決めようと思った。医師も私たちの
必死な願いを快く受けてくれた。
56日め:ときどき生理痛のような痛みがある。胸もまだ痛い。
まだあきらめず奇跡を願っている私と夫。
58日め:約束の超音波検査。やっぱりおなかの中の赤ちゃんは生きていなかった。
misoprostolという子宮伸縮剤をもらい、夕方6時半、膣に入れる。
9:30ごろから、気絶しそうなほどの痛みに襲われる。息もできない。
あまりの激痛にほとんど意識不明だったが、夫がずっとベッドの横にいてくれた。薄れる意識の中で、3歳ぐらいの女の子が泣きながら私の背中や肩をさすってくれる光景が浮かんだ。
幻覚なのか、天国に戻る赤ん坊が育った姿なのか、将来きてくれる娘なのか。
そのとき、もし将来子供ができたら、子供の前では何があろうと泣かない、自分の苦しむ姿は決して見せない、と誓った。
10:10、出血。ゼリーのようなドロドロとした血のかたまりが出て怖い。これが私の赤ちゃんだったんだ・・・と思ったけど、もちろん姿は判別できない。
11:00。起き上がることができた。
60日め:超音波検査。流産は完了していた。とても悲しかったけど、もう医師の前で涙を見せることはなかった。それより、これでもう一度赤ちゃんが戻ってこられる場所が空いた、と思った。戻ってきてくれると信じている。
61日め:基礎体温、36.36。もうおなかに赤ちゃんはいないんだと改めて寂しさがおそう。
あれから5ヵ月後、再び妊娠した私。どうかあのときの赤ちゃんが戻って来たのでありますように。また、もし違う魂が戻ってきたとしても、どうか私のおなかの中でちゃんと育って、生まれてきてくれますように。怖くてたまらない。
サイクル15日め:2回めの挑戦のAIH。なかなか子宮までうまく届かず、とても痛い思いをした。不妊治療は心も体もとてもつらい。
18日め:高温期に入った。基礎体温、36.71。
19日め:36.31に下がった。
20日め:36.81に上がった。しかし、このあと基礎体温がどんどん下がってきて、23日めには36.60。
25日め:胸がチクチクと痛いことに気づく。ダイエットしていたにもかかわらず、体脂肪が全然減らない。
27日め:基礎体温、36.45。変動が多い。
30日め:生理予定日。妊娠検査スティックにて陽性判定!
31日め:病院へ血液検査に。もう妊娠していることはわかっていたので、喜び勇んででかけた。
そしてその日の午後、「本来なら70〜100のホルモン値が必要ですが、38しかありませんでした。残念ながら数日後出血して流産するでしょう」と言われ、夫共々、天国から地獄へ。
生きている理由もないと思ってしまった。庭に穴掘って、一生そこで過ごしたい、誰とも話したくない、誰にも会いたくない、と思った。赤ん坊に裏切られたような気持ちにまでなってしまい、普通の精神状態じゃなかった。
32〜34日め:すごく眠い。教会で「赤ちゃんを守ってください」と祈る。
私の命に代えてでも、この赤ちゃんを助けてください、と本気で祈る。
35日め:二度目の血液検査。150〜200は欲しいホルモン値が、86だった。前回から増えたとはいえ、低い。
37日め:三度目の血液検査。186。倍になったので、まだ生きているんだ、育っているんだ、と感動。でも生理になっていないことをのぞけば、妊娠している自覚はまったくない。
39日め:基礎体温、36.66。のどが乾く。おりもの少々。
42日め:基礎体温、36.61。今、まさに我が子と過ごしているんだ、と幸せをかみしめる。「明日」じゃなくて、「今日」一緒だということが大切。
44日め:四度目の血液検査。1846まで上がっていた!熱っぽくてだるい。生理痛のような痛みがある。夫と教会で祈る。
45日め:初超音波検査。ちゃんと子宮の中に着床していたが、6週2日めにしては小さいらしい。
53日め:二度目の超音波検査。朝、胸が張っているのが嬉しい。結果は、袋は13ミリほどに育っていたけど、中の赤ん坊が育っていなかった。7週目に入っているが、6週目で止まっているらしい。やはり流産確定。
掻爬手術するか、薬で押し出すか、自然に出血するまで待つか、と聞かれた。
医師に、痛みはひどいが薬で出すのが一番安全だと言われた。手術するのは体に負担が大きい。自然に出血を待つのは、あまり待つとむしろ母体に悪影響が出る、ということだった。
夫と話して、あと1週間待って、もう一度超音波検査をしてもらうことにした。
そこでもし心臓が動いてなかったら、覚悟を決めようと思った。医師も私たちの
必死な願いを快く受けてくれた。
56日め:ときどき生理痛のような痛みがある。胸もまだ痛い。
まだあきらめず奇跡を願っている私と夫。
58日め:約束の超音波検査。やっぱりおなかの中の赤ちゃんは生きていなかった。
misoprostolという子宮伸縮剤をもらい、夕方6時半、膣に入れる。
9:30ごろから、気絶しそうなほどの痛みに襲われる。息もできない。
あまりの激痛にほとんど意識不明だったが、夫がずっとベッドの横にいてくれた。薄れる意識の中で、3歳ぐらいの女の子が泣きながら私の背中や肩をさすってくれる光景が浮かんだ。
幻覚なのか、天国に戻る赤ん坊が育った姿なのか、将来きてくれる娘なのか。
そのとき、もし将来子供ができたら、子供の前では何があろうと泣かない、自分の苦しむ姿は決して見せない、と誓った。
10:10、出血。ゼリーのようなドロドロとした血のかたまりが出て怖い。これが私の赤ちゃんだったんだ・・・と思ったけど、もちろん姿は判別できない。
11:00。起き上がることができた。
60日め:超音波検査。流産は完了していた。とても悲しかったけど、もう医師の前で涙を見せることはなかった。それより、これでもう一度赤ちゃんが戻ってこられる場所が空いた、と思った。戻ってきてくれると信じている。
61日め:基礎体温、36.36。もうおなかに赤ちゃんはいないんだと改めて寂しさがおそう。
あれから5ヵ月後、再び妊娠した私。どうかあのときの赤ちゃんが戻って来たのでありますように。また、もし違う魂が戻ってきたとしても、どうか私のおなかの中でちゃんと育って、生まれてきてくれますように。怖くてたまらない。
by formyblog68
| 2006-01-19 03:27
| 稽留流産